เข้าสู่ระบบ* * *ただひたすらに眠りの深淵でルファルを想い続け、月が替わった翌日の午後。リリシアはフェニクス邸の玄関で、アルベルトに深々と頭を下げる。今朝、ふと意識を取り戻した時、ハクヴィス邸のベッドの上だった。カイスが眠っている間に馬車で運んでくれたようだ。感謝を伝えても、カイスは無機質に「……当然のことをしたまでです」と短く返すだけ。それでも、アルベルトへの挨拶を済ませていないと告げれば願いを聞き入れ、こうして今もなお、後ろで静かに付き添ってくれている。「地味な真似はよせ。行け、背筋を伸ばしてな」顔を上げると、髪を秋風に揺らすアルベルトが、豪胆かつ華やかに送り出してくれた。カイスが扉を開け、リリシアは馬車へと乗り込む。そうしてフェニクス邸を離れ、しばらくの間、馬車に揺られてエクレール邸へと辿り着くと、そこには神魔術隊の中でも、最も近寄りがたい青年――雷の魔術師、テオが待ち構えていた。白髪に、透き通るような色白の肌。華奢な体格と整った顔立ちの外見に反して、その身に纏う空気は誰よりも鋭利で、非道なまでの威圧感を放っている。「呪い月。最初に言っておくが、俺は手加減なんて甘ったるいもんは持ち合わせてねぇからな。……さっさと来い」テオがそう吐き捨てて歩き出し、リリシアとカイスは凍りつくような空気の中、無言でその背中を追う。やがて、邸宅の中庭の奥にある、古びた扉の前でテオが足を止めた。「この扉は雷の魔術によって、ある現実に存在する場所と繋ぎ合わせている。よってカイス、お前はこれより先は進入禁止だ。ここで寝てろ」テオが自身の瞳に雷光をちりつかせた。すると、カイスさんは抗う間もなくその場に崩れ落ち、静かに目を閉じる。「カイス様っ……!」リリシアは胸が締め付けられる思いで振り返る。けれど、テオは冷徹に背中を向けたまま、扉を開け放った。「……執事に言って部屋のソファーに運ばせて寝かしておくから問題ねぇ。ぐずぐずしてんな、行くぞ」扉の先には、外の世界とは隔絶された、大森林が広がっていた。木々のざわめきが止んだ中心部に、黄金色に輝くクリスタルような柱が天へ向かって伸びている。「テオ様、あれは……?」「俺の修行場を守る雷柱だ」「いつも、ここで修業をなされているのですか?」「あぁ。……剣の修業をな」――こんな神聖な場所に、わたしのような者が
* * *アルベルトの過去に触れてから、リリシアの心は温かな何かに満たされていた。あの方の胸の内に宿る炎が、誰かを救う為のものだと知ったから。そうして瞬く間に時は流れ、修行を開始しておよそ3週間。末日の前日となっていた。昨日は青い炎の檻を半分以上壊すことが出来た。だから今日こそ、越えられるはず。そんな淡い期待を胸に抱くも、現実は非情だった。これまでにない程強固なアルベルトの青い炎の檻にリリシアは閉じ込められ、完全に囚われてしまう。――アルベルト様の本気がひしひしと伝わってくる。(……違う。これまでのものとは、圧倒的に違う……)ここで、死ぬかもしれない。そう思った瞬間、全身が凍りつくような感覚に襲われ、ごほごほっ、と激しい咳が込み上げた。咳は止まらず、視界がぐらりと揺れる。それでも、リリシアは必死に両手を床に突き、己を支えた。「けほっ……はぁっ、はぁっ……」(苦しい……息が上手く出来ない……もう、動けな……)弱音を心の中で吐いた時、ふと脳裏をよぎったのは、遠い地で同じように心身と戦っているルファルの姿だった。――そうだ。ルファル様に、約束したのだ。『待っている』と。ならば、約束を果たす為にも。このままここで、終わりにする訳には、いかない。リリシアは両目を閉じ、ひたすらに意識を集中させ、強く願う。――お願い、壊れて。その痛切な願いに呼応するように首元の宝石が神々しい光を放ち、清浄な結界が展開され、リリシアを包み込み、そして。――パリィィィ、ン。硬質な音と共に、青き炎の檻を粉々に破壊した。目を開けると、まるで色鮮やかな花びらが舞うように、あんなにも憎らしかった青き炎の檻が、跡形もなく霧散していく。ようやく、やっと……。檻を、壊せた。視界の端に、駆け寄って来たアルベルトの姿が映る。そして、いつもの明るい笑みを浮かべ、リリシアの頭をぐしゃりと撫でた。「リリシア、見事だ。――合格だ」その言葉と大きな手から伝わる熱に、張り詰めていた糸がふつりと切れる。大粒の涙が、堰を切ったように頬を伝い零れ落ちた。「今からシャイン皇帝とテオにその皆を伝える。ここで休んでろ」リリシアがコクンと頷くと、アルベルトはすぐさま、ふたりへ向けての報告に取り掛かる。焰の魔術で机上の2枚の書面と羽根ペンを浮かせ、目の前まで引き寄せるとペ
* * *リリシアは窓の外に浮かぶ月をしばらく眺めたのち、カイスと共に馬車に揺られ、ハクヴィス邸へと戻った。されど翌日の午後も過酷な修行は続き――気がつけば10日が過ぎ去ろうとしていた。カイスは修行の妨げになるというアルベルトの命により、初日を終えた翌日から特別室の外で待機を余儀なくされている。今日という日も、リリシアはたったひとりで、あの青い炎の檻に閉じ込められていた。淡い光を放つ清浄なる結界は、日が経つごとにその強度を増している。けれど、積み重ねてきた努力の甲斐あって、青い炎の檻の一部を壊すことは叶うようになっていた。(今日こそ、必ず)リリシアは座り込んだまま祈るように瞳を閉じ、胸の内で静かに、その身に宿る力を一点へと集中させる。すると、それと呼応するようにリリシアの力が研ぎ澄まされていき――、次の瞬間。――パリィ、ン。硬質な音を立てて、青き炎の檻の半分が粉々に砕け散った。「……はぁ、あと、もう少し。もう一度だけ、結界を」そう願いを込めようとした矢先のことだった。喉の奥から込み上げる激しい咳に、意識が乱される。「……っ、ごほっ、ごほごほっ」リリシアは床に両手を突き、激しく咳き込む。するとその耳元に、パチン、とアルベルトが鳴らした指の音が鼓動のように響いた。呼応するように青い炎の檻が一瞬で消え失せ、アルベルトはすぐ傍まで駆け寄ると、その伸ばした大きな手が優しくリリシアの背中をさすり始める。「……大事ないか、無理は禁物だぞ」「はい……っ、さすって頂き、ありがとう、ございます。おかげさまで、少し楽に……」アルベルトは安堵の息を吐き出す。そのまま細められた瞳でリリシアを見下ろし、どこか誇らしげに、また感心したように微笑んだ。 「青い炎の檻を半分も壊してみせ、倒れもせずに踏み留まるとは、大したものだ」「……アルベルト様の、厳しいご指導のおかげでございます」「はっ。……お前を見ていると、時折、昔の自分を思い出す」不意に零れたその言葉に、リリシアは思わず顔を上げる。そして、ふと疑問を抱いた。この豪快で力強い人が、かつてどのような道を歩んできたのか。「……アルベルト様は、なぜ神魔術隊に入団なされたのですか?」問いかけてからリリシアはハッとし、口元を押さえた。恐れ多いことを口にしてしまった……。「あ……申し訳ありま
* * *遙かなる修行の地へと向かう道中、ルファルは愛馬から降りて休息を取っていた。柔らかな午後の日差しが、木々の間から差し込んでいる。されど、秋風が頬を撫でた時。ふと胸元から伝わった微かな不穏な予感に、ルファルは眉をひそめる。白銀の輝きを纏う枠に嵌(は)め込まれた小さな満月のような水晶に、細いチェーンがしなやかに風に揺れたこの胸元のブローチは帝都にてリリシアから受け取ったものだ。今頃、アルベルトの元でリリシアは修業に励んでいるはずだが――、胸騒ぎが消えない。リリシアに何かあったのだろうか。胸の奥締め付けられる。だが、この感情に引きずられてはならない。例え何があろうとも、前皇帝が遺したこの世に唯一無二の剣を目覚めさせるまでは、リリシアの元へ帰ることは許されない。ルファルはブローチを握り締め、一度強く目を閉じた。浮かぶのは、あの儚げなリリシアの面影。(……リリシア)ルファルは心の中で名を呼び、苦悶を滲ませる。やがて、深く息を吐き出すと、ルファルは己の感情を理性の底へと封じ込め、再び瞳を開く。その眼差しには静かで強固な決意が宿っていた。ルファルは馬の背へと跨る。そのまま夕闇が迫る修行の地へと迷わず馬を進めた。* * *しばらくの時が流れ、リリシアはフェニクス邸の一室でゆっくりと深い眠りから覚めた。「……リリシア様」傍らに控えていたカイスの、低い声音。名を呼ばれ、リリシアの意識をがはっきりとする。窓の外はすでに深い闇に包まれていた。「カイスさ……ごほっ」リリシアは慌ただしく身を起こそうとして咽(むせ)る。「リリシア様、大丈夫ですか? まだ、お休みになられた方が……」「……いいえ、もう充分です。カイス様、申し訳ありません、これ程長く眠ってしまうなんて……アルベルト様を怒らせ
「……っ! リリ…シア様!」それまで冷徹に控えていたカイスの顔が、初めて焦燥に染まった。カイスは凄まじい速さで駆け出し、右手を伸ばすと、瞬時に氷の魔術を展開して、その青い炎の檻へ触れる。直後、ジュッ、と掌が少し焼ける音が室内に響く。「くっ……」「カイス、様っ……!」リリシアは檻の中から叫んだ。「驚いたな。いつも冷徹な眼差しですました顔をしてるくせに、熱いじゃねぇか」アルベルトが、冷ややかにカイスを見下ろす。カイスは火傷の痛みに耐えながら、鋭い眼光をアルベルトへと向けた。「リリシア様を厳重に守れと、ルファル様より仰せつかっております。……アルベルト様、今すぐお止め下さい! リリシア様を殺す気ですか!?」カイスの詰問に、アルベルトの顔から一切の笑みが消え、恐ろしい程の威圧感が室内に満ちる。「側近風情が口を挟むんじゃねぇよ。黙って見物してな」(カイス様も、あんな魔術が使えただなんて……。けれど、わたしのせいで、カイス様が火傷を……)リリシアの胸を、どす黒い罪悪感が満たしていく。これ以上、誰も傷つけたくない。――――わたしのせいで、誰かが傷つくのは嫌だ。強く、強く願うと、首元の宝石が淡い光を放ち始めた。今度は大きく広げるのではなく、自分の体の表面をぴったりと薄く狭く包み込むような清浄な結界が張られる。けれど、身体のすぐ外側を取り囲む青く光る炎の液体は、あまりにも強力で、自分の力ではどうしても浄化することが出来ない。それでもリリシアは必死に抗った。ここで諦める訳にはいかない。だが、青い炎の檻は容赦なくリリシアの呼吸を塞ぎ、体内の力と体力を根こそぎ奪っていく。すると激しい咳が、喉の奥から込み上げた。「……っ! ごほごほっ、げほっ」ついに立ったまま身体を支えきれなくなったリ
* * *この日の午後、リリシアの心は片時も休まることがなかった。旅立っていったルファルのことが頭から離れないせいもあるけれど、何より、今からこのフェニクス邸で「焰の魔術師」と呼ばれるアルベルトの修行を初めて受けることになっていたからだ。カイスと共に馬車に揺られ、辿り着いたフェニクス邸は、ハクヴィス邸程ではないにしろ、ため息が出る程立派で重厚な邸宅だった。今日から毎日、この見知らぬ場所へ通わなければならないのかと思うと、胸の奥が、ずんと重くなる。だが、僅か3日3晩ではあったけれど、ルファルとあれだけ命懸けの修練を重ねてきたのだ。(大丈夫……きっと、乗り越えられるわ)自分に言い聞かせるようにして凛とすると、邸宅の重厚な扉が開き、髪を真っ直ぐに切り揃えた双子の少年が姿を現した。「アルベルト様には、すでに言付かっております」「これより、特別室へご案内致します」示し合わせたように交互に告げる双子の歩調に合わせ、リリシアはカイスと並んで静かに後ろに続いた。長い回廊を歩く間、革靴の音だけが響く。「アルベルト様」「リリシア様一行をお連れ致しました」やがて少年達の声と同時に、豪奢なキャンドルの炎が妖しく揺らめいた。焰の魔術によってひとりでに開かれた特別室の扉。その先へと、リリシアはカイスと共に足を踏み入れる。すると背後で重々しい扉が閉ざされる。その部屋の中央、揺らめく灯火の中に立っていたのは、洗練された色香を纏う青年――焰の魔術師、アルベルトだった。高い背丈、肩まで無造作に流れる透明感のある髪が、引き締まった体躯に美しく映えている。そんな整った容姿のアルベルトが、どこか人を惹きつける明るい、けれど全てを見透かすような瞳でこちらを見た。「リリシア、この日を待ちわびたぞ。だが、悪いが俺が認めるまでは、テオの修行へは進ませねぇからな」その傲然(ごうぜん)とした響きに、リリシアは思わず息を呑む。「まずは早速、ルファルとの修練の結果を見せてもらおうか。――結界を張ってみろ」「